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05 もっと教えて

LA QUINTA PUNTATA  "INSEGNATEMI DI PIÙ"

第5話 もっと教えて

洒落た言葉 をかませる男性というのは尊敬に値すると思う。
その言葉が恋愛に導く こともあると思う。
それができる日本人には今までお目にかかったことがない。
しかしイタリア人となると別である。
おシャレな言葉をサラリと言える人がごまんといる。

ある時、予約のアレクサンドラがBARにCAFFÉ
(カッフェ=エスプレッソ・コーヒーのこと)を買いに行くと言い、
ついでにわたしたちの注文を聞いてくれた。
「何が欲しい?」。
「わたしカップッチーノ!」、
「チョコレートのお菓子買ってきて」、「僕はカッフェ」。
そしてポーター最若手のフェルナンドはこう言った、
Per me, un bacio! (俺にはキッスをくれ!)」。

くーっ。いい切り返しではないか。
しかも22,3の若い男の子がコレを言えちゃうのだ。
こんなセリフが似合うのは日本人では稲垣吾郎 くらいのモンだろうと思うが、
イタリア人男性の9割が稲垣吾郎の素質を持っている。
慣れていないわたしは毎度、日本で聞いたこともないこんな気の利いた言葉に感動し、
感心するばかりである。
もっとも日本語でこんなこと言われたら気持ち悪いのかもしれないけど。

最近、職場の男性陣がやっているCALCIO(カルチョ=サッカー)の
練習試合にくっついて行っては観戦しているのだが、 そこでもこんなことがあった。

18人のメンバーが、試合をするために9人と9人の2チームに分かれたので、
わたしは「コレ、何の基準で分けてんの?」と聞いた。
すると、世界中の女性に八方美人 なマッテオがこう言った。
「あっちは彼女有りチーム、俺らは彼女無しチームだよ」。

まあよく言うよ。
職場の男性陣はほぼ全員が結婚しているかステディな彼女がいるから、
そんなハズはないのだが(適当にチーム分けしたに決まってる)、
いい答えであるなあ、とうならされた。
さすが、ドン・ジョヴァンニを生んだ国 である。カサノヴァの国 である。
気障と言えばそうだが、これも一つの優れた能力だと思う。
お洒落な発言がとっさにできるというのは。

その一方で思うのが、特に女性を褒める時などに、
俗に言う「セクハラ発言」 が多いということである。多すぎる。
うちの職場、これが日本やアメリカだったら男性全員とっくに
セクハラ理由でクビ になっていると思われる。
想像はつくと思うが、 女性の体のことやセックスに関することなどを露骨に 口にするのだ。

こんな連中に囲まれて、こんなわたしにも語彙が増えてきた。
今までは正当にイタリア語を学んできたが、
最近はそうではない 覚え方をしているような気がする。
よく話す相手が田舎弁丸出し だったりするのだ。

ポーターのリーダー的存在、ファビオはCIOCIARIA の人である。
この人の言っていることは2割くらいしか分からない。
あとの8割は何となくの雰囲気と分かった2割からの推測。
それで100%わたしたちの会話は成り立つ。
何しろ早口だし、 一つの文に放送禁止用語を2個ずつくらい入れて話す。
卑猥な放送禁止用語(PAROLACCIA =パロラッチャ)は日本人の わたしには
慣れていないせいもあって使い方すら分からなかったが、
この人のおかげで(せいで?)ポイントがつかめてきた。

フェルナンドは生粋のローマっ子 である。
東京に江戸訛りがあるように、イタリアの首都ローマにもローマ弁 がある。
ロマニスタ(プロサッカー、セリエAのチームASローマのファン)
でもあるから、ローマを讃える歌、他チームをこてんぱん に言う悪口を
わたしに伝授する。ものすごいローマ弁である。

この2人に共通して言えるのは、決して標準イタリア語を話さない ことである
話せない のかもしれない…)。
普通ならいたいけな外国人の女の子には、ゆっくり優しく正しい
イタリア語で話し掛けるだろうが、彼らはそれをしない。
ベラベラベラベラ、 方言でまくしたてる

しかし彼らと話すことがわたしの生きたイタリア語習得法 だと思っている。

明日もまた仕事、さあてどんな新しい言葉を覚えるかな?

(2003年6月)

CIOCIARIA チョチャリーア

ラツィオ州(ローマがあるところ)南部のチョチャリーア地方。
この地名を聞いてわたしが思い出すのは、1960年のイタリア映画『ふたりの女』 である。
原題“La ciociara”が、「チョチャリーアの女」 の意味で、
日本で言うところの「飛騨高山の女」 くらいの雰囲気か?

ところでわたしはこの邦題を付けた方に大いなる賛辞を送りたい。
もし直訳の「チョチャリーアの女」とそのままにされていたら、
この映画、日本では「何じゃそりゃ」になるところであった。
だから『ふたりの女』。 確かに映画を観てみると、二人の女性(母娘)が主人公なのである。
ちなみに原題の「女」はイタリア語では明らかに単数表記、
つまり一人の女を題に掲げている。

で、映画。
未亡人の女性が思春期の娘を連れて、第二次大戦の空襲下のローマから、
自らの故郷チョチャリーアに 疎開する。
山あいの小さな村である。
親戚一同が戦争とは無縁に 見える青空の下、食卓を囲み、
そこに久々に戻ってきた母娘も加わる。
このシーンは何とも美しく、ましてや白黒映画なのだから青空か どうかも分からないはずなのに、
なぜか強く印象に残っていて、 ああ、イタリア人は外でごはんを食べるんだなあ
なんて思ったりしたものである。
そこに主人公の女性が初めて見る若者がいて、母娘に何かと 世話を焼いてくれる。
娘は彼に憧れを抱くが、彼が自分の母親を 愛していることに気付いていく…。

ここから先はかなり重いストーリーになっていくのだが、 この話、原作は
イタリアのちょいと癖ある有名作家、 アルベルト・モラヴィア の同名小説である。
これをネオレアリズモ (日本語にすると「新現実主義」 であるが、
映画界ではこのカタカナ言葉が完全に一つのジャンルに なっている。
1940~50年代のイタリアの一般市民のごくごく 普通の生活を描いた映画たちを指すのだ。)の
巨匠、 ヴィットーリオ・デ・シーカ監督
主人公にグラマラス女優 ソフィア・ローレン を迎えて撮った映画である。
ソフィア・ローレンに惚れる若者が、なんとフランスの大俳優
ジャン・ポール・ベルモンド の若き日の姿。
ゴダールの『勝手にしやがれ』に出たのもこの頃だったか。
3年ほど前に恵比寿ガーデンシネマで彼の出演作 『パリの確率』も観たが、
相変わらず一風変わった魅力的な存在は健在であった。
最近、御年70歳にしてパパになったというニュースを ラジオで耳にした。凄過ぎる。

ソフィア・ローレンはこの『ふたりの女』で
1961年度アカデミー主演女優賞とカンヌ映画祭主演女優賞を 受賞し、
イタリアが世界に誇る大女優となった。
それまでのアカデミー賞は、主演男優・女優賞といえば、英語圏の映画から選ばれていた。
必然的にアメリカ人かイギリス人が多かったことになる。
フランスのシモーヌ・シニョレも受賞してはいたがイギリス映画の主演によるものだったし、
『無防備都市』で有名な イタリアのアンナ・マニャーニ
1955年のハリウッド映画『バラの刺青』にての受賞であった。

だから、英語以外の演技に対する主演賞は、 ソフィア・ローレンが初めてであった。
その彼女が1998年のアカデミー賞に姿を現し、 プレゼンターとして外国語映画賞をこう発表した。
Roberto! (ロベルト!)」。
イタリア映画、ロベルト・ベニーニ監督の
『ライフ・イズ・ビューティフル(La vita è bella)』の 受賞である
(彼女をプレゼンターに持ってきたのはイタリア人が イタリア人に
オスカー像を渡す、という感動的かつ コテコテなハリウッドならではの演出で、
彼女が出てきた時点で 誰に賞がいくか分かってしまい、少々シラけた)。
ロベルト・ベニーニは俳優として主演男優賞も獲得し、
これが英語以外の演技に対する初の主演男優賞となった。

参考文献
柳澤一博『イタリア映画を読む』フィルムアート社(2001)
柳澤一博『映画100年STORYまるかじりイタリア篇』朝日新聞社(1994)

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